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鳥肌が/穂村弘

更新日:2023年10月31日


ちょっと気分を変えたくて、 華奢なフレームのメガネを買った。

ご機嫌で家に帰り、さっそく新しいメガネをかけて 「どれどれ」と鏡を覗き込んだ瞬間、ギョッとした。 その顔が、亡くなった祖母にあまりにそっくりだったのだ。


現代短歌の先駆者的存在である歌人、穂村弘のエッセイ『鳥肌が』。

「こわい」の裏にある意味、「可笑しさ」の意味に気がついたとき、

ゾクッと鳥肌がたつ。そんな42の瞬間を集めたエッセイだ。


その42のぞくっとするエピソードの一つに「似ている」がある。

若い頃は似ていないと思っていた父や母にある時期から急激に似てくるのは

見えないスイッチが入ったようで恐ろしい、と書かれている。

全くその通りだと思った。


 

祖母は早くに夫を亡くし、故郷から離れた街で、女手一つで母を育てあげた。

戦後の混乱期に「よくぞ」と思う一方で、

その気性の激しさや、娘である私の母への尋常でない執着心は、

私にとって反面教師でもあった。


見た目も気性も私とは明らかに「別のタイプ」の人、のはずだった祖母に

たまたま、いつもと違うメガネをかけたことで

「似ている」部分があったことに気づいてしまった。


血縁とは、個ではどうすることもできない、抗うことのできないもの。

どれだけ違うと言い張ったところで、こんなに似ているんだよと言われてしまったようで

なんとなく心持ちが悪かったのだ。

そんな複雑な感情を代弁してくれるような言葉が、この本の中にあった。 「似ている」とは「自分ではどうすることもできない、血の、遺伝子の支配を受けている…

これだと思った。



『鳥肌が』にもう一つ、私が共感したエピソードがある。 それは「母なるもの」というエピソードだ。


「母なるもの」とは永遠に盲目的な母性愛の怖さの話。

究極の母性愛は無償の愛であると同時に、

愛することで殺すという怖さを秘めているという話だ。


この本の楽しみ方としては、自分がどの「ゾクッとする体験」に共感するかで、

自分が何に恐怖を感じるのかを知ることができる。


思うに「愛」とか「絆」というきれいな単語で隠されてしまいがちなものに、

私はゾクッと感じてしまうらしい。

逃れたくても逃れられないもの。

それが私にとって、一番恐ろしいものなのだ。

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